2012年7月31日火曜日

たいへんよくできました


7月が終わる
ついに未知の領域に突入する

今年になってから社会復帰したぼくですが
どうしても職場になじめずに転職をくりかえしてしまった
どの工場に勤めても最後はいつも逃げるようにして職場から消えた
40歳を過ぎてから
ぼくは3か月以上ひとつの会社で勤務を続けることができたことがない
若い頃なら我慢できたかもしれないことが今ではできなくなっている
我慢や努力をしても何もいいことがないことを知ってしまったせいだ
ぼくは年を重ねて怠け者の上に狡猾になってしまった

今年になってからのぼくの職歴
1月中旬から2月中旬まで・・・製造工場で梱包のパート社員
3月上旬から4月中旬・・・自動車部品工場でノギス測定のパート社員
4月下旬・・・メッキ工場で材料投入のパート社員
5月上旬から5月下旬・・・食品工場で夜勤専門のパート社員

そして6月上旬から今の製造工場でパート社員として働いている
職場の人間関係が良いことについては「仕事行きたくない病」のなかで書いた
仕事内容も座り仕事が多いから辛くは無い
8月1日の明日
対人恐怖症のおじさんパート社員は明日で工場勤務3か月目に入ります
たいへんよくできました
自分を褒めてあげたいです
社会不適応者の王様を自称しているぼくにとっては
1年間勤務を続けているように長く感じてしまう
おかあさんぼくがまんしているよ
ちゃんとおしごとつづけているよ
なんちゃって


遅い夕飯です
・・・さびしいなぁ


2012年7月30日月曜日

顔と心のギャップ


「不破さんて松岡修造に似ていますよね、似ているって言われませんか?」
今日工場で若い女性パート社員(若いと言っても30代だが)にそう言われた
それって褒めて言っているんですよね多分
オレサマテレル・・・
年下の女性と話すことに慣れていないぼくはどう反応していいのか困ってしまう
「いやー、そんなことないっすよ、はは・・・(笑い)
おじさん顔真っ赤になりました

松岡修造に似ていると言われたのは初めてだったが
青年時代の石原裕次郎に似ているとはよく言われた
裕次郎の昔の写真やポスターが載った週刊誌を見かけては
「おまえは裕ちゃんにそっくりだね」と家族や親戚に言われた
青年時代の石原裕次郎はこんな顔
ぼくは目がクリッと大きくて童顔
一見すると明るくて人懐っこい顔をしている
石原裕次郎も松岡修造もスポーツマンで明るくて社交的で熱血漢でポジティブな人だ
一方ぼくは
外見は石原裕次郎や松岡修造なのに中身は彼らとまったくの正反対
ぼくはネクラで対人恐怖症で話し下手でひきこもりで
嫌なことがあるとすぐに逃げ出す臆病者で
おまけに自殺願望まで抱えている

外見と中身のギャップ
ぼくは顔と心のギャップに長い間苦しんでいる
ぼくは若い頃
精神科医のカウンセリングを受けた時やメンタルクリニックへうつ病の診断に行った時に
医者から非常に不真面目な対応を何度も何度もされた
ぼくが真剣に相談しているのに彼ら医者は笑っていたり適当に相槌をうったり
ぼくの話をちゃんと聞いていなかったりした
医者に甘えていたわけじゃない
人として普通に対応して欲しかった
なぜぼくは心配されないでこんなに粗末にあつかわれるのか
ぼくはどんなに苦しんでも他人から心配されない人間なのかと思って絶望した
でも今ならその理由がわかる
顔が健康そうに見えるから心配されなかったのだ
石原裕次郎や松岡修造はうつ病には見られないだろう

松岡修造
よりによってあの松岡修造
こんなことを想像してみよう
松岡修造があの顔で市役所の福祉課に生活保護受給の申請をしている姿を
「ぼくは対人恐怖症のため働くことができないひきこもり生活者です。
生活保護を受けたいので申請します。」
真面目に対応する職員はいるだろうか?
「・・・あの、もう少し頑張ってみてはいかがですか」と門前払いを食らうだろう
外見と中身のギャップ
ぼくの苦悩は今後も続く

自分と似ている俳優やタレントを探して
その俳優がドラマでどんな役をよく演じているのか
そのタレントがバラエティー番組でどんなキャラクター設定であつかわれているのか
それを知ることで
自分が他人からどのように見られているかを客観的に捉えることができる
社会復帰をしてアイデンティティの確立を目指す人には助けになるかもしれない
ぼくの場合はダメですけれど
キャラが濃すぎです()

はなしかわりまして
昨日の休日に釣りに行きましたので
その画像を何枚か

グロ画像じゃありません
これ疑似餌なんです
ゴムみたいな素材でできてます
ブラックバスとかお馬鹿な外来魚はこれで釣れちゃいます

でも昨日はフナとコイ狙いだったので餌はミミズ(画像なし)で釣りました







やったぁぁぁ 大物ゲットぉぉぉ!!!

昨日は大漁でした
30cm級のフナが4匹釣れました♪

2012年7月29日日曜日

パートで生きる


朝日新聞朝刊の生活欄
毎週金曜日の「働く」というコラムで「パートで生きる」という特集が始まりました
ぼくは今年になってから社会復帰をして工場のパート社員をしている
だから毎週ぼくのことに関する記事が載っているわけだ
興味津々で1回目と2回目の記事を読んでみたが予想通りの内容だった

・昔は家計の足しにパートをしている人が多かったが今は長い不況のために本業として働いている男性も多い
・正社員と同じ仕事をしているのに給与が安い
・賞与や福利厚生の面で正社員との差が大きすぎる
・正社員と比べて有給休暇がとれない
1年更新の雇用契約は不安定
・何年働いても待遇は変わらない
・時給制なので仕事ができる人ほど早く仕事が終わって損をする

まあこんな感じ
ぼくからしたらこれらは一般常識だ
正社員と期間契約社員(パート)の格差
もう10年以上も昔から深刻な問題とされてきた歪んだ雇用形態
誰もが知っていることだと思っていたけれど違うのか
今更特集して記事にするまでもないと思う
長い不況のせいでパートという雇用形態が
労働者側(需要)と企業側(供給)でマッチしているのだから
あれこれ問題提起してもどうせ何も解決しない
考えるだけ無駄
労働基準法絡みの問題提起はもういいよ

強い対人恐怖症のため濃厚な人間関係を築くことができないぼくは
正社員と格差があることは承知の上で工場のパート社員という仕事を選んだ
だから休みが少ないのも賞与が少ないのも退職金が出ないのも全然気にならない
実はパート社員であるぼくの悩みはもっと他にある
それは人間関係の希薄さゆえのジレンマだ
正社員ならば定年退職した後もお互いに連絡しあったり
正社員だけの会合やパーティーに参加したり
同僚の結婚式や葬式に参列したり
人づきあいという貴重な財産ができる

ぼくらパート社員は一生懸命働き続けて何が残るというのだろう
パート社員の働く動機も価値観も辞めかたも人それぞれ
ぼくらは互いに干渉しないで表面的なつきあいをしている
それどころか互いに蹴落としあい
ある者は正社員に媚び
ある者は新人パート社員をイジメ倒している
パート社員は勤め先から身を引いたら何も残らない
これまで築いてきた人間関係はすべて無になる
会社を抜けた後も交流が続くパート社員はどれだけいるだろうか

希薄な人間関係を望んで働いているくせに
味気ない日々と何も残らない将来を思うと悲観的になる
希薄な人間関係を選択したパート社員の誰にも言えない悩み
あまりにバカバカしい悩みで新聞の記事にもならないが
そういう気持ちで働いているおじさんもいるのだ
ここに



2012年7月27日金曜日

最悪なブログの終わらせかた


今日も何とか働けました
毎日辛いけれど何とか生きていこうと思います
死んだように生きてやります
ヤケクソです

日記を書くつもりで始めたブログがすっかり雑記になってしまった
ぼくは友達も遊び仲間もいないから
毎日生きていてもブログに書きたくなるようなイベントが無い
臆病で慎重だから書きたくなるようなハプニングも起きない
で自分の暗い過去や思い出話ばかりになってしまう
情けないな
退屈な男なんですぼくは

今気になっていることをひとつ
ころすけさんのブログ
週一のスパンでブログ更新していた人がまったく更新をしなくなった
もう3か月もブログの更新をしていない
名前も顔も知らない人だけれど今もお元気でいられるのだろうか?
突然ブログを止める人は多いけれど
長い間ブログを続けていた彼は本物だった
全部読んでいただければわかると思う
なんというか大人のブログなのだ
ぼくはころすけさんのブログをずっと楽しみにしてきた
会社依存の強い人がうつ病になるとどうなるか?
どのように悩み苦しみながら社会復帰していくのかを
ぼくは楽しみにしていた

20100923日の投稿を読んでみる
「おめでたいのに寂しいです」というタイトルの投稿

ずっと以前にも書いたのですが、うつブログ の終わりかたには4つのタイプがあります。
1 記事の更新がなくなり放置される。
2 ある日突然ブログそのものが消える。
3 治っていないが、自ら終わりを告げる。
4 治ったことを告げ 終わる。
もちろん、4番が一番良いです。
今日、ネットで知った方のブログが4番で終わりました。
たいへんめでたいことです。
○○○○さん おめでとうございます!!私も後に続きます!必ず。いつかきっと…

それがどうだろう
「もう嫌になっちゃたなぁ。何もかも。」が彼の投稿の最後の言葉

まるで遺書みたいな終わりかただ
もしかしたら本当に死んじゃったのかもしれない
最悪なブログの終わらせかたを彼は選択してしまったのかもしれない
困るなこういうのは
こっちまでうつになるよ
おめでたくないし寂しいです

2012年7月25日水曜日

廃業はしたけれど


自営業をしていたころの取引先から今年もまたお中元をいただいた
OさんとK
どうもありがとう
カニ缶美味しくいただいています
暑中お見舞いのかもめーるも昔の取引先から数枚いただいた
今でも律儀な人たちはいる



ぼくは廃業したことを取引先に伝えていない
税務署や市役所に廃業届を出したものの
仲間たちには廃業したことを隠し続けている
「景気が良くなったらまたよろしく♪」
廃業後に何度も連絡があったが
あいまいな返答をずっと続けてきた
完全に廃業して約3
仕事から離れた今でも当時のことを忘れずにこうしてお中元をよこしてくれる
経営が順調な時は1000万円以上の売買取引をした仲間たちだ
ぼくのことを今も忘れずにいてくれるらしい
今もお中元をくれるOさんもK君も零細企業の経営者で
今は副業をしたりしてなんとか凌いでいる
ぼくと違って妻子持ちなのによく持ちこたえていると思う

この3年間でぼくは多くのものを失った
一身独立して青年実業家になってやるという野心を失ってしまった
大手取引先に裏切られた絶望感で何もかも嫌になった
(阿部だけは一生許さないぞ・・・)
ぼくはこの3年間ひきこもりを続けたせいで臆病になってしまった
人間不信と自殺願望にとりつかれて日々を過ごした
白髪も増えた
知力も体力も30代の頃と比べて衰えたように感じる

そして人材
ぼくの経営の師匠であるK君の父親は2年前に亡くなってしまった
Oさんの息子は経営難のため昨年今の仕事を離れて中小企業に就職した
他にも亡くなった人や人事異動した人や仕事を辞めた人がたくさんいる
景気が悪いせいもあるから皆ひとつの場所に留まってはいられない
仕事に燃えて充実していた自営業者時代の仲間たち
いそがしい仕事の中で必死に作りあげた人間関係
ぼくの手足をもぎ取るように頼もしい人たちがどんどん失われていく
まるで戦国シュミレーションゲーム三国志の三国時代末期の様だ
あの日には2度と帰れない
良き理解者や何でも言えた相談者たちともう2度と会うことができない
たまらない
心にあいた穴は広がり続け一生塞がることはないのだろう
灯は消えかけている
自営業に再チャレンジしたくても助けてくれる人がいなければ難しい

ぼくが廃業したことを取引先に伝えていないのは
今も自営業に未練があるから
せっかく作りあげた人間関係を失いたくはないから
それがどうだろう
工場のパート勤めも満足に続かない
煮え切らない自分がここにいる

2012年7月23日月曜日

仕事行きたくない病


朝起床してまず最初に思うこと
(うおおおおおお仕事行きたくねぇぇぇ)
ぼくの心の叫び

働くことは嫌いではない
自分の意思がまったく通らない束縛
ぼくは毎日同じ場所に行くという事にたまらない苦痛を感じている
ぼくはお勤めに向いていない
長く自営業をしていたこともあって
会社の歯車になって本当の自分を捨てて働くということに慣れていないのだろう
社会不適応者と言われればそのとおりなのだが

それでも今働いている工場はぼくが今年勤めた工場の中で一番社風がいい
今年1月から5回勤め先を変えてようやく巡り会ったマトモな工場だ
正社員たちが先頭になって汗をかいて働いてくれている
ぼくらパート社員はその姿を見て協力してあげようと頑張って働く
皆で協力し合って助け合っているから誰ひとり他人の悪口を言う人がいない
係長は口が悪いけれどリーダーシップのある人で面倒見がとてもいい
パート社員をおだてて利用してこき使って働かせようとは考えていない
正社員を助けてくれる仲間だとぼくのことを見てくれている
素直にうれしい
ここなら長く勤められるかもしれない
仕事に行きたくないと毎朝思いながらも

求人情報サイトを覗くと
今年辞めた4つの工場のうち2つは今もパート社員の募集をしている
半年前と同じ募集要項
そして同じ写真とデザイン
あきれてしまう
社会復帰や経済的自立を夢みて入社する人も多いだろうに
この求人サイトを見て応募した人たちがどれだけ犠牲になったことかと思うと暗い気持ちになる
人生を狂わせた罪は本当に重いと思う
何度も求人広告を出す会社というのは
人がすぐに辞めてしまう何かしらの共通点がある
ぼくの体験では
この2つの工場はブラック企業とまでは言わないけれど働いている人間が悪すぎた
無能で怠け者な正社員がパート社員をアゴで使って働かせている
パート社員は他に行き場所が無いから卑屈で陰険で悪口とパワハラばかりしている
部屋に蚊()が一匹いるだけで痒さのために夜中に起こされて翌日寝不足になることに似ている
たかが一匹の蚊だけれども人を不快にさせるものすごいパワーを持っている
そんな工場にいるパート社員という一匹の蚊のせいで最悪の社風になっていた
そして総務課と製造課の仲が良くなかったことも共通している
せっかく入ってきた新人も
「総務の人に聞いていた話と違う」と言ってすぐに辞めてしまう
人事と現場で意思の伝達がまったくなされていないことには驚かされた

努力をした人は必ず報われるというのは大ウソで
ムダな努力をしなかった人が報われるのが人の世なわけでして・・
ぼくは今の工場にたどり着くまで随分ムダな努力をしてしまった
それまでの間に心に何度も傷を負ってしまったことが悔やまれる
「ここに入って稼いだら自動車買わなくちゃね」
目を輝かせて語っていた自転車通勤の40歳ニートのA君は
今もあそこで働いているのだろうか

2012年7月21日土曜日

面接の電話をしました


夏の暑さも一息
暑さのせいで無気力な朦朧(もうろう)とした日々が続き
ぼくは仕事で対人関係で大失敗をしてしまった
もう少し元気に明るく応対できなかったものかと後悔しているが
覆水盆に返らず
過ぎたことはしかたがない
涼しくなってくれたおかげで新たな力が湧いてきた
仕事なんかに負けてたまるか
なるようになれと開き直っている

午前中に求人ジャーナルネットで見た求人情報が気になって電話してみた
ドアノブとか金物の製造加工をしている工場のパート求人だ
自宅から近いし給料も悪くない
平日に休みなのも魅力だ
何よりも「中高年大歓迎」の文字に釣られてしまった
ぼくはここが決まったなら今の工場でのパートを辞めてもいいと思った
いきづまりを感じている今の仕事を続けていける自信が無い
無職になって苦しまないために保険のつもりで面接を受けようと電話してみた

「はい、○○製作所です」

「もしもし、私不破と申しますが・・・」

「はい」

「あの、求人ジャーナルの求人情報を見てですね、その、応募しようと思いまして」

「はい」

「ご連絡をいたしました」

「はい、ありがとうございます、失礼ですが今年齢は何歳になりますか?」

(声が小さくなる)「えっ、あっ、あの私45歳になります」

「今回の募集はですね、中高年、50歳以上の募集になっておりまして・・・」

「あっ、そうなんですか、それは残念ですね」

「ええ、申し訳ないですね」

「いえいえわかりました、はい・・、それでは失礼いたします」

・・・終わった

電話を切った後からぼくは急に腹が立ってきた
まぎらわしい求人だ
この会社では40代は中高年では無いらしい
では40代は何者なのか??
ぼくはもう若者では無いし青年でも無い
ぼくはどこの会社の面接を受けても中高年として扱われてきたと思う
年齢を言っただけで門前払い
40代というだけで蔑まれ鼻で笑われてきた
だから頼む
せめて中高年の仲間に入れてもらえないだろうか
この国は40代に冷たい
20代と30代は若者として扱われ再チャレンジのための就職支援をしてもらえる
50代以上は中高年として扱われ再雇用のチャンスをたくさん与えてもらえる
40代という中途半端な年齢がぼくを苦悩させる原因になっている
誰にも文句を言えない就職差別がハローワークのような公的機関でさえも行われている
10代の頃は成人したくなかった
20代の頃は30過ぎのおっさんになりたくなかった
40代になってぼくは初めて早く歳をとりたいと思うようになった
40代のトンネルは長くて暗い
トンネルを抜けるまであと5年もある


2012年7月19日木曜日

いきどまりの中年


今日のぼくは正午出勤になっている
働いている工場は休みが少ないうえに
出勤時間も前日に決められるようになってしまった
これじゃ体も心ももたない
ぼくは身の振り方について真剣に考え始めている
今の工場勤めが続かなかったら死のうと考えている
もう生活苦と職探しは嫌だ
大津のいじめ問題についてのニュースを見ていたら
昔のことを思い出してさらに死にたくなってしまった
若い人は自殺をしてはいけません
もったいないです
自殺はおじさんに任せてください

ぼくは職場でいじめられている
「おまえ意外と使えないやつだな」
係長の言葉がグサリと胸に突き刺さる
またかと思う
健常者に見られ期待され
役に立たないことに気づかれて失望させてしまう
ぼくは転職するたびにいつもこれをくりかえしてきた
仕事をするという点でぼくが他人とは違い劣っていることに気づかされたのは
高校時代にまでさかのぼる
1983年夏 人生初のアルバイト
高校時代にウォークマンが買いたくて
夏休みを利用してはじめた和食レストランチェーン店でのアルバイト
ここでぼくは何もできなかった
17時から20時までの夜間アルバイト
調理係をすれば非力でノロマのため仕事のスピードについていけず
接客係をすればオーダーをおぼえられず何をすればいいのかわからずオロオロしてしまう
店長と副店長は体育会系な人だったからおとなしくてノロマなぼくはパワハラを受けた
いそがしい仕事のストレスのはけ口にされてしまった
頭を殴られたり尻を蹴られたり
みんなから多くの暴言を受けた
人間恐怖の始まり
17歳の根暗で対人恐怖症気味だった少年はしてはいけないアルバイトだった
さっさとばっくれればよかったのだけれど辞め方さえわからなかった
短期契約のアルバイトだった
続けた理由は大人社会のルールを守り従順でなければならないという
意志の強さだった(今はない)
結局予定通り夏休みの終わりまで苦手なアルバイトを続けてしまった
今思えばもったいない
貴重な高校時代の夏休みを遊ばずに良い思い出を作らずに無為に過ごしてしまった
不運は続く
売切れでソニーのウォークマンを買えずにアイワ製のやつを買ってしまった
これが欠陥品で半年で壊れた
ぼくはアルバイトで良い経験をしたことは何もなく
ただ大人がこわくなってしまっただけだった

高校 大学 専門学校
学生時代にアルバイトをしてはいけない人がいる
バイトで人間関係につまずいたり
自分が社会人として劣っていることに気づかされるようなバイトはしないほうがいい
大人への背伸びにすぎないバイトならするべきではないと思う
お金のかからない趣味やあそびを探して没頭したほうがいい
ぼくの魚釣りみたいにそういう趣味は長く続く
お金は両親や親戚から貰えばいい
自宅の家計を知り両親を口説き落とすことのほうがずっと社会勉強になるかもしれない
社会に出れば嫌でも働くようになるのですから

2012年7月18日水曜日

眠りたい

また暑さのせいでじゅうぶんに眠れなかった
朝の光と小鳥のさえずり
眠りが浅いからすぐに目が覚めてしまう

睡眠不足だと気がまわらなくなるから必ず仕事で対人関係で失敗をする

嫌な思いをすることがわかっていても嫌な思いをしに行くとはなんてことだ

仕事行きたくない

鋼の心がほしいのにぼくの心はマシュマロみたいで
無数の刺繍針が刺さっている状態
ウニみたいになっている

早く冬になれ
喧騒の少ない穏やかに眠れる冬に

営業アイテム


先日書いたブログ「電話帳配達の季節」の一部内容訂正
古い通帳を確認したら振込金額は35,000円でした
日給7,000円か
とても辛い仕事だったからもっと稼いでいたかと思っていたけれど
やっぱり割に合わない仕事でしたね
もうひとつ訂正
ぼくが配達の仕事をした県は毎年夏に新しい電話帳(以降タウンページと記)の配達と回収をしているけれど他の都道府県のことはわかりません
夏の配達じゃなかったらごめんなさいということで

H K ( 話変わります)
自営業者にとってタウンページは仕事をするのに欠かせないアイテムだと思う
ネット検索ではひっかからない量の情報が黄色や青の本の中に詰まっている
ぼくは自営業をしていた頃タウンページには本当によくお世話になった
タウンページを隅から隅まで読んで顧客や取引先になりそうな会社などをピックアップして片っ端からハガキやファックスを送ったものだ
ネット検索でひっかかる会社は見積もらせると意外に割高だったりする
つきあいもネットで知り合った顧客よりもタウンページで探した顧客のほうが長く続いた
理由はよくわからないけれども

タウンページとハローページ(薄い青色の電話帳)は個人情報の塊(かたまり)だから
回収にはかなり厳しくうるさくなっているようだが
古いタウンページのほうが重宝するからぼくは回収させない
御存じの人もいるかも知れない
近年タウンページは細かくブロックごとに分けられてしまった
内容も厚みも薄くなった
隣の市のことを調べたくてもブロックが違うから掲載されていないことがある
有料で他の地域のタウンページを購入できるけれど
つい数年まで無料だったものにお金を払うなんてばからしい
回収無用
ぼくは未だに古いタウンページを捨てられずに残してある
ぼくは自営業にまだ未練があるのだろう
いつかもういちど役に立つ日が来ることを信じていたいのかも

2012年7月16日月曜日

電話帳配達の季節


連休無しで働いた後やっと仕事休みが来た
明け方の大きめな地震と35度を越える猛暑のため睡眠不足でフラフラだったが
自宅に居ても暑いので思いきってぼくは釣りに出かけた
貯水池に行く途中で電話帳配達の軽バンとすれ違う
助手席に黄色い電話帳(タウンページ)が山積みされていたからすぐにわかった
そうかもうそんな時期かとぼくは思った

ぼくは一度だけ電話帳配達の仕事を経験したことがある
自分の軽のバンを使っての業務委託の仕事だ
配達の仕事は人との交流が希薄なためひきこもりから社会復帰を目指す人には
ちょうどいい仕事かもしれない
しかし電話帳配達はちょっとハード過ぎる
理由はこの暑さ
なぜこのクソ暑い時期に配達するのかさっぱりわからないが
ぼくが求人に応募して仕事をした時期も8月上旬で酷く暑い日だった
もうひとつの理由は配達だけではなく古い電話帳の回収もしなければならないからだ
会社から指定された地域を
地図を確認しながら一家一家訪問して
新しい電話帳を渡して古い電話帳を預かってこなければならない
エレベーターが無い公団マンションや車が入れない場所もある
ノルマはあるし携帯端末への入力もたいへんだった
新しいタウンページを車いっぱいに積んで
帰りは古いタウンページを車いっぱいに積んで戻って来ることになる
暑さで人も車も壊れてしまう
ぼくは汗をダラダラかきながら販売機でジュースばかり飲んでいたことだけおぼえている
あまりに辛い仕事だったのでいくら貰ったのかも忘れてしまった(5万円くらいだったかな)
たしか5日働いて辞めたと思う
ひとりでするにはキツ過ぎる仕事だし仲間と組んで仕事するには安過ぎる
割に合わない仕事のひとつだと思う



今日もよく釣れた
小魚ばかり
質より量で勝負する釣りなら誰にも負けません
貧乏なぼくらしい収穫でした


OUT

連休無しで働いていたら気疲れしてしまいました
暑さにも弱いです
元気なく働いていたら職場でいじめられるようになってしまいました
ぼくの本性に職場の皆さん気が付いてきたようです
無気力な小動物だということに

早めに辞めようと思っています
限界です
あとどれくらいもつかな
ダメですねぼくは

2012年7月14日土曜日

こころの障害


回避性人格障害(回避性パーソナリティ障害 APD)
ひきこもり生活者の多くの人が抱えている障害だ
「回避性パーソナリティ障害をもつ人は、
自分は社会的に不適格で魅力に欠けていると考え、笑われること、
恥をかくこと、排除されること、嫌われることを怖がり、
そのために、社会的な交流を避けようとする傾向をもつ。
自分は孤独者(loner)であるとし、
社会から取り残されている感覚を訴えるのが典型である。
専門医の診断を受けたわけではないから定かではないけれども
ぼくは長年これと同じ症状に苦しんできた
ぼくはきっと回避性人格障害者なのだろう

ぼくは場面緘黙(かんもく)という障害を最近知った
家庭では話すことができるのに学校や会社では人と会話できないという症状だ
決して言葉を知らないから話せないというわけではない
うつ病などの精神疾患の経過中にのみ起こるものでもない
最初は人見知りをしているに過ぎず月日が経てば話せるようになるというわけでもない
ぼくはこれじゃないかとも思っている
場面緘黙(かんもく)の診断基準がぼくにピタリとあてはまる
学生が場面緘黙(かんもく)を克服せずに成人するとその後遺症が残り
会社で会話ができないといった大きなコミュニケーションの妨害となって現れる
会社で会話できない→会社行きたくない→ひきこもる
の無限ループ
ぼくはこれだ間違いない

今はいろいろなこころの障害に名前が付けられていて
ネットのおかげで多くの人がそれに詳しくなって
真剣に自分や家族のこころの障害と向き合っている
これはとてもいいことだと思う
ぼくも自分が何者であるかを知ることができて本当に良かったと思っている
同じ悩みで苦しんでいる人もたくさんいることを知った
ぼくは若い頃は学校で社会で変な奴 
変人の一言で片づけられてきた
自分でもそう思っていて絶望していた時もあった
でも今は違う
自分に似た仲間はたくさんいる

2012年7月12日木曜日

近所づきあいできません


今ぼくが働いている工場の出社時間は9時だ
車で20分弱かかる工業団地内にある
ぼくは毎朝650分に自宅を出て工場に出かける
遅刻しないように早めに自宅を出発しているわけではない
いつも出社時間のぎりぎりまでコンビニの駐車場で休んで時間調整をしている
朝早く自宅を出る理由は出かけるときに近所の人と顔を合わせたくないからだ
近所の人とケンカしているわけでも仲が悪いわけでもない
人に見られるのが嫌なだけだ
8年前に引っ越してきたマイホーム
御近所さんの多くはぼくがここに住んでいることを知らないのではないかと思う
近所づきあいができないぼくは存在を消して暮らしている
自宅ではなるべく音を立てないように照明を点けないようにしている
閉めっ放しの雨戸もたくさんある
異常な話だがぼくは他人に暮らしているのを見られるのが嫌で
一度も庭やバルコニーに出たことがない
ぼくの住まいは袋小路の住宅地にあって県道に出る道は一本しかない
しかも通学路で道幅は狭い


毎朝同じ時刻に犬の散歩をしているおばさん
通学途中の子供たちの集団
定年退職して暇なおじさんの散歩
ゴミ出ししている奥さんたちの井戸端会議
朝からそんなものに遭遇してしまったら1日中気が滅入ってしまう
(今日は朝からツイテないな・・)
だからぼくは隣人一家が会社や学校に行くために家を出る時間を把握している
道路に誰も人がいない時刻も調べた
それが朝の650分だった
やはりぼくは回避性人格障害なのだろう
ぼくはいつも人間関係を築く前に最もひ弱な方法で人間関係を壊してしまう
人と目を合わさず挨拶をしないという方法で

小学生の頃東京から田舎に引っ越してきたぼくは
よそ者扱いされ地縁という難物に苦しめられた
クラスの3分の1の生徒が同姓だった
ぼくの母親もよそ者扱いされて近所づきあいには苦労していた
親の職業や立場が弱いとその子供はイジメを受ける場合が多いという
母親はそういうことに鈍感な人だからぼくはひとりで苦しんで悩んでいた
小学5年生の夏の日
ぼくは地域の行事で酷いイジメを受けた
子供たち参加の野球大会
バッターボックスでバットを振らなかったぼくは
観客と敵味方チーム全員から「案山子(かかし)」と野次られ笑い者にされた
「おいこら案山子バット振れや!!!
あの時の大人たちの罵声や嘲笑が今も忘れられない
集団での言葉の暴力
(どうしてぼくだけがこんな目に会うの?)
ぼくはあの日の夕暮れ震えながら遠回りして家に帰った

青少年の健全な育成には地域住民の参加が必要だというが果たして本当だろうか?
隣人は全員敵だとまでは言わないが
会うよりは会わないほうがいい
あのトラウマから脱せずぼくはこんな大人に育ちました


おまけ
今読んでいるミステリは
宮部みゆきさんの「理由」
いまどき「理由」って・・・
おそらく今世界でこれ読んでいるのはぼくだけでしょうね


2012年7月11日水曜日

就職して1カ月


ぼくが今の工場でパート社員として働き始めてちょうど1カ月になった
この1カ月は新しい環境を受入れるだけで精いっぱいだった
朝工場に行きの車の中ではいつも緊張で吐きそうになっている
(行きたくない嫌だ嫌だ嫌だ)と念仏のように唱えながら車を走らせる
毎朝行きつけのローソンに車を止めて朝食の缶コーヒーを買う
そして震える手でタバコを何本も吸い覚悟を決める
ぼくは工場の敷地に入る直前の5分間が1日の中で一番つらい
工場に入ったら最後本当の自分とは違う自分を出現させなければならないからだ
偽りの明るく元気で仕事熱心な自分を

苦悶の1日がスタート
ぼくはまだまだ人に慣れず仕事も遅くミスばかりしている
目をキョロキョロさせて周りを気にして心休む暇が無い
1日中変な汗をかきながら働いている
今日もラインの班長に「どうしてこんなことがわからないんだ!」と怒鳴られるし
(教わってないからわからないのだが・・・)
ぼくは気が弱いから厳しい物言いをされると萎縮してしまってどんどん声が小さくなって下を向いてしまう
下を向いているとやる気が無いように見られてしまいさらに厳しい物言いをされる
負の連鎖が帰りまで続く
怒られているうちが華だとは思うがさすがに気が滅入る
(これでいいのかな?)
(今日はこんなんで良かったのかな?)
帰りの車の中で自己嫌悪に陥りため息ばかりついている
1か月間こんなことの繰り返しだった

仕事を長く続けていればそのうちうまく順応できるかもしれない
年齢を重ねるうちに他人にどう見られようがどうでもよくなるかもしれない
でもぼくはこの工場でこのまま朽ち果てていくのかと思うと少し悲しくなる
残りの人生は生活のために働くだけだと割切ったはずなのに
これは天職と違う
こんな仕事をするために生まれてきたわけじゃない
そんな新しい悩みが芽生え始めている
ぼくは40を過ぎたというのに若者のように惑い続けている

2012年7月9日月曜日

ひきこもり大学生


ぼくは今の工場では大卒だということを隠して働いている
誰も損をしない学歴詐称だ
ぼくが大学卒と履歴書に書いたのは20代までだった
40歳を過ぎて工場のパート社員やアルバイトをするのに学歴は意味が無い
むしろ好奇な目で見られたり
あつかいにくい人だと思われたり
頭がいいと思われてハードルが上がるだけで良いことはひとつもない
だからぼくは最近働いた会社の面接では高卒と書いて履歴書を出してきた
学歴をドブに捨てる
学費を出してくれた両親には本当に申し訳なくて頭が上がらない
両親の期待を木端微塵に裏切ってしまった
ぼくの一生をかけて両親の世話をするつもりだ

高校時代のぼくは孤独や不安からくるストレスを受験勉強に昇華させた
「昇華」の意味は心理学の言葉で難しいのだが
簡単に言うなら一流大学に入ることであらゆる不満や欲求を満たそうとしたのだ
ぼくは大学に合格すればあらゆる不満や欲求が満たされると思って一生懸命勉強した
明るい未来が待っている
大学に入れば普通にたくさんの友人ができて
女子大生の恋人ができて毎日がパーティーだと思っていた
(テレビドラマの影響を受け過ぎだ恥ずかしい)
その先のことはわからない
ぼくにとって大学合格はゴールだった
現役で有名私立大に合格したがそこですべてが終わる
人生の目標は達成され他人と話せない自分だけが残った
ぼくが重度の対人恐怖症だと気づいたのはこの頃だ
学内では友達はおろか誰とも会話したことが無かった
現実と理想のギャップに苦しむ日々が長く長く続いた
ぼくがひきこもりになったのは大学1年の6月だ
必修科目の講義と試験を受けに行く以外は自宅で寝ていた
「大学でバカになったのかおまえは」と母に罵られたがそのとおりだった
喫煙過多と家族以外の人と話さない日が何年も続いて脳が退化していたと思う
平成3年春
ぼくは2年留年して就職も決まらないまま無理矢理卒業させられた

ぼくはキャンパスライフなどというものを知らない
大学で得た知識も経験もなにもない
人間が嫌いになって怠け者になっただけの6年間だった
だからぼくごときが大卒を名のることを今でも恥ずかしく思っている
進学したことを後悔はしていないが
高卒のまま社会に出ていたらどうなっていたのかなともうひとつの人生を思い描く
今働いている工場では課長や班長が裏でぼくのことをバカと呼んでいるらしい
今よりは幸せになっていただろうなきっと・・・

2012年7月7日土曜日

自営業の魅力


ぼくの30代はお金との戦いだった
ぼくは無一文で小さな技術職の会社を立ち上げた
会社と言っても自営業とやっていることは変わらない
最初は個人経営で自営業をはじめたが
銀行や取引先や大手顧客の信用を得ることを目的に法人化したに過ぎない
誰も使用人はいないひとりぼっちの会社だ
誰も相談する人がいなかったし頼る人もいなかった
親類に頼んで無理矢理に登記上だけの役員兼社員になってもらったりした
銀行等から融資を受けて設備投資や土地の購入や宣伝広告費に使った
ぼくは自由をお金で買ったのだ
自営業という名の自由
誰の視線も干渉も無い職場なんて夢のようだった
他人を気にしなくていい喜び
自分の好きな時間に休憩して好きなように働けるすばらしさ
国民金融公庫 ●●●信用金庫 ●●信用金庫 あさひ銀行 ●●信用組合
みんな御世話になった
ぼくごとき社会不適応者によくぞお金を貸してくれた
(ひきこもっている場合じゃねぇ)
個人経営は良くも悪くもすべて自己責任だ
ぼくは自由を得た代わりに大きな責任感に束縛されることになった
ぼくは一心不乱に働いた




8年間で1,500万円以上の銀行ローンを完済することができたことを
ぼくは誇りに思っている
「並みのサラリーマンじゃ絶対に返せない額だよ」と取引先の社員によく言われた
実際月の返済額は多い時期で25万円を越えていた
会社員の月給に相当する金額だ
会社勤めをしていたらできない経験をたくさんさせてもらった
1年間の休日数はたった30日間だったけれど負けなかった
体を壊したことがあったけれども充実していた

ローンを完済して燃え尽きたのかもしれない
完済の翌年にリーマンショックが起こる
まさかぼくに火の粉がかかるとは思ってもいなかった
年末だというのに派遣切りをされた人たちが公園で炊き出しを受けている
ニュースが何度もテレビで報道された
ぼくは対岸の火事だと思いながら2009年の新年を迎えた
しかし
正月5日を過ぎても大手の顧客に連絡が取れない
売上の90%を依存していた顧客だ
仕事をもらえなければすべてが終わる
見捨てられた!? うそだろ??
すぐに逃げられたことがわかったが衝撃が大きすぎて現実を把握できない
 (あんなにがんばってきたのだもの きっと誰かがきっと助けてくれる)
ぼくは3か月間毎日事務所のデスクに座り鳴るはずもない電話を待った
返済に苦しんできたぼくに貯蓄なんて1円も無かった
自己破産の一歩手前まで追い込まれたがバイトをして何とか踏みとどまった
すべてにやる気を無くしたぼくは廃業の道を選ぶことになる
再び長い長いひきこもり生活が始まる
ぼくには50坪の土地(荒れ果てた雑種地)だけが残った
たったひとつの勲章だ
将来ここを畑にして農作業を始めようかと考えている

負け犬のぼくが言うのもおこがましいが
先が見えないひきこもり生活者なら一度は自営業にチャレンジしてみる価値がある
工場にパート勤めを始めた今でも自営業への憧れは尽きない